ケータイ時代のコミュニケーション

仕事でちょっと高校生にお話する予定があるので、最近アマゾンでケータイ関係の本を購入しています。今回は、その中の1冊。実は、ちょっと知っている先生が書かれています。この本、「タイトルで損してるなぁ」とも思うんですよね。副題のほうが、内容にも近いし、個人的にはいいと思う。

てゆーか、メール私語―オトナが知らない机の下のケータイ・コミュニケーション

てゆーか、メール私語―オトナが知らない机の下のケータイ・コミュニケーション

ケータイと言えば、最近はフィルタリングが話題になってます。つまり未成年のケータイの利用が問題視されているわけです。でも、それは「大人目線」の話で、はたして子どもたちの目線まで降りてみると、実態はどうなっているのか。たとえば、学校の中でケータイを使ってどんなコミュニケーションをしているのか。それらをきっかけに、ケータイがより普及し「空気」のような存在になる将来、コミュニケーションはどうなるのか、ということを扱っています。

この本では、いくつか面白い視点を提案しています。そのひとつは、若者に代表される「デジタル・ネイティブ」とだいたい40代以上を想定した「デジタル難民」という考え方。この考え方自体は、プレンスキーという人の論文に書かれているのですが、2つのグループに重なる存在として、20代半ば〜30代の年齢層からなる「デジタル・ミドル」を考えておられます。ケータイをはじめとするデジタル文化が当たり前となっている「デジタル・ネイティブ」と、デジタル文化に慣れていない「デジタル難民」のある種対立的な関係を解消・発展するのには、双方の立場や考えがわかる「デジタル・ミドル」が大きな役割をはたすはずだと、述べておられます。
この考え方には、まったく同感。ただ、今の「デジタル・ネイティブ」たちの文化って、だんだん「デジタル・ミドル」でさえわかりにくくなってきてはいないか、という危機感も感じたりします。そういう意味では、「デジタル・ネイティブ」とその親(結局「デジタル・ミドル」なんですけど)がもっとコミュニケーションするようにならないといけないかも、と思ったりします。

あと、本書ではケータイ、とくにケータイ・メールによるコミュニケーションに注目されています。デジタル・ネイティブたちのケータイ・メールの特徴として、着信があったら即座に返事をかくことや、音声がない分を絵文字などで気分や気持ちを表現していると、指摘されています。さらに、これらは従来からいわれてきたことだと思いますが、このようなメッセージのやりとりは、平安貴族の恋愛の和歌のやりとりと似ているところがあるという指摘は、けっこう面白いですね。想定外の見かたでした(笑)

あと、海外の状況として、北欧の事情も紹介されています。総じていえば、日本とあまり変わらないかなぁ、というのが感想です。日本では社会的に問題視されているところもあるので、そのあたりが北欧はじめ海外ではどうなのか、というのがもっと詳しく書かれていると、うれしかったですね。

最後は、「つながり」をキーワードに、これからのケータイ文化とコミュニケーションについて述べられています。子どもたちのケータイ・メールのメッセージのやりとりにある、言葉の「あいまいさ」とそこから見える「共感してほしい(したい)」という気持ち、ブログ・SNSやアドレス帳に見られる「つながりの可視化」を、心理学的側面やソーシャル・キャピタル社会関係資本)の観点から、分析されています。個人的には、ここの説明も面白かったです。社会ネットワークやネットワーク科学の観点からいえば、強いつながり(強い絆)はつながりが強くつながったグループ内を活性化させます。ただ、つながりの1点が欠けても、そのつながりの強さはあまり変わらないですよね。子どもたちは、そのあたりを体感的にわかっているんじゃないかと思うのです。つまり、一人ひとりが他人につながる数が増えるほど、そのつながりが1本でも切れると、残ったたくさんのつながりも切れてしまう、そういう孤独になる怖さをわかっているような気がするのです。

携帯電話各社が、学生・生徒向けの無料プランを次々と発表していますが、それに乗っかって安易に子どもに携帯電話を持たせるのに、最近疑問を感じていました。自分の子供はまだまだ先の話ですが。でも、現在おこっていることが将来につながっていくわけですから、教育者としても親としても今のケータイ文化は気になるところです。他のケータイ文化の本に比べ、デジタル・ミドル以下の視点で、さまざまな事象と問題を提起してくれた本書は、大変参考になった次第です。