1/31放送のクローズアップ現代の感想と教育再生会議の最終報告

昨日の記事で、クローズアップ現代の放送内容のまとめみたいなのを書きました。放送では、イギリスでの学力格差の解消に向けた取り組み、フィンランドの自立した国を支える自ら未来を切り開ける能力を身につけさせようという取り組みが紹介されました。そして、OECDの教育局指標分析課長のアンドレア・シュライヒャーさんのコメントから、生涯にわたって学び続け、学んだことを活用して現実の問題を解決していく能力が、グローバル化していくこれからの社会では必要であることが強調されていました。

感想としては、OECDの教育局指標分析課長が繰り返していた発言が印象に残りました。編集の結果かもしれませんが、主に2点に集約されます。

  • 子どもたち一人ひとりを見て、その子どもの能力や興味を見定めて、「指導」するのではなく「適切に促す」ような教育が大切である
  • 予測できないような事態に直面しても、幅広い事柄に適応し、さまざまな人々と協調しながら、問題を解決できる能力がこれからは求められる

とくに2点目については、それを支える知識として「科学」の重要性についても触れていました。

で、このようなことが、今の日本でできているか、というと「あまりできていないのでは」と思うのです。そして、OECD教育局指標分析課長も指摘していましたが、科学離れに見られるような、本当は生活に密着してるはずの「科学」が重要と思われていない現状も、すごく問題だと思います。

そこで、1月31日に最後の総会が開かれた、教育再生会議の話を出したいと思います。最終報告によると、次のような報告がされたようです。

 最終報告では「直ちに実施に取りかかるべき事項」として「徳育」の教科化と「ゆとり教育」見直しのほか、(1)小学校に理科や算数の専科教員を配置(2)社会人からの教員採用を5年間で2割以上に増員(3)学校の適正配置の促進、などを挙げた。

 また「検討を開始すべき事項」としてスポーツ庁の創設、6・3・3・4制の弾力化、幼児教育の無償化などを記した。

http://www.asahi.com/politics/update/0131/TKY200801310328.html

徳育の話は置いといて(苦笑)、「ゆとり教育」の見直しとは、どういう意味なのでしょう。「ゆとり教育」の中身を精査した上での話しですが、案外、OECDの教育局指標分析課長が主張したいたようなことができた(できそうだった)のではないでしょうか。とくに主張の2点めに対して、日本の教育が具体的に取り組もうとしたあらわれのように思えるのです。
また、教員の増員などについては、主張の1点めを可能にさせる、つまりイギリスのように、1クラスの教員数を増やすことで、より一人ひとりの子どもたちを見られるようになるのではないでしょうか。ただ一方で、「社会人からの教員採用を5年間で2割以上に増員」というのは、教員免許の更新制度と相反するのではないかとも思います。

さて、この教育再生会議の最終報告もそうですし、最近の文科省の高等教育に関する考え方(大卒や大学入学、大学教育に対して、一定の学力レベルを保証させようという考え)もそうですが、結局は従来の行政という枠の中での考え方に沿ったものでしかなくて、国家としての教育観や将来の人材育成政策というものが、ほとんどないように思います。むしろ「ゆとり教育」に少しずつ舵を切っていたころの方が、大胆かつ戦略的だったのではないのか、とさえ思ってしまいます。

今回の放送の最後の方のコメントで、PISAの結果が良かった国の特長を3つ挙げていました。そんなにPISAの結果が気になるのなら、ここは愚直にそれを真似てはどうなのでしょう。それが今の日本の政府や社会ではできていないのでは、と思うのです。とくに、「子どもたちが進みたい将来に門戸が開かれている」というのは、行政だけでできることではないです。日本という国全体で考えないと、これから巣立っていく子どもたちに「進みたくない将来」を見せるばかりになるのではないでしょうか。