教科「情報」がどこに行くのか

上の記事を書いたあと、関連するブログを見ていて、気になったこと。高校での教科「情報」の現状と、まわり(大学、保護者、社会)の認識に、なにかズレのようなものがあるような気がしています。

以前書いたこの記事。リンク先の記事に、そのつづきがあります。読んでいくうちに、前の記事に書いた、プログラミング教育の位置づけや、将来高校での情報の教育がどうあるべきか、「情報」とは何か、といったことを考えさせられました。ひとまず、関係するリンクのみ時系列で挙げておきます。

いくつか気になった記事にコメントしたいと思います。

しかし。多くの教員は、そのような授業をしてはいても、「MS社のアプリケーションを教えること」が情報科の内容だとは考えていなかっただろうと思う。ワープロならワープロ表計算なら表計算で、ビジネス文書はこういう書式で書くのだとか、表計算では関数というものを活用すると便利だよとか(今でもそういう内容を教えている短大もあるようだ)、そういうあたりから狙ったのである。ところが、入っているのはMS-Officeであって、一太郎などは入っていない。入れようにも予算が付かない。

だから、操作手順を教えてもらいたがる。代替となるソフトを紹介しても喜ばない。また、そうして操作を覚えたってWindowsVistaになってOfficeが2007になったら全然使えなくなっちゃうよ、もっと基本になる考え方から理解しようと言ってやっても、ただ不興を顔に表すばかりである。

普通の高校の「情報」(終): 舎密亭日乗

いつも疑問に思うのですが、「Wordではダメ」なのはなぜなんでしょう?なぜ「一太郎」ならよいのでしょうか。ビジネス文書を書くのに、Wordではダメでしょうか。使い勝手の問題や教える側の都合だけを理由にすべきなのでしょうか。MS製のソフトでなければ、脱操作教育ができるのでしょうか。本当に疑問に思うのです。特定のソフトの操作に依存しない「基本的な考えが重要」であるのなら、別にどのソフトでも良いと思うのです。

だからせめて、お話の中でいろいろと自分たちが過去に使ったことのあるアプリケーションソフトの紹介をするのだが、生徒の受けはあまりよくない。

普通の高校の「情報」(終): 舎密亭日乗

過去に使ったことのあるソフトを紹介しても受けが良くないのは、同意(涙)たいてい学生たちにとっては、自分が使うこともないし興味のないことなんでしょう。

情報教育観の流れを考えて見るとプログラミング教育を主体とした第一世代の情報教育観、アプリケーションの使い方を主体とした第二世代の情報教育観、単なるツールの使い方を教えるのではなく
、情報そのもの、情報の処理の仕方、情報の収集や発信の方法、問題の発見計画と解決方法の検討、情報モラルの育成などを主にした第三世代の情報教育観と流れてきたわけで、この流れは必然的だったと思うわけです。

情報科教員MTのBlog:普通の高校の『情報科』・文大杉並の場合

情報教育観の現在までの流れを、上手くまとめておられます。今は、第二世代までが現場で実践されてきたところで、一部の現場で第三世代に取り組みつつあるというところでしょうか。大学もあまり変わらない状況です。高校の先生方の話を聞くと、むしろ遅れているかもしれません。

今後の高等学校の情報教育を考えてみると、
 1.情報Aと情報Cを統合した科目をつくる
   (これは全国の高校生に共通の科目とする)
 2.情報Bのような科目は選択教科とする
 3.情報Aと情報Cを統合した科目は1年次必修(履修学年の固定)とする。

情報科教員MTのBlog:普通の高校の『情報科』・文大杉並の場合

よい提案だと思います。「教科『情報』において情報Aがバランスがいい」と認識されていて、それと現在必須ともいえる情報モラルが中心である情報Cを組み合わせれば、もっとバランスのいい科目になると思います。高校の事情はわかりませんが、大学風に考えれば、1年次必修にやれば生徒に対して科目の必要性をアピールできるでしょうし。

では、プログラミングを含む情報科学分野の内容は、どうするか。やっぱり、全員が勉強する必要はないと思うんですよね。専門的すぎる。簡単に言えば、難しすぎる。ただ、アルゴリズムやプログラミング的な要素は、みんなが勉強してもいいような気がします。仕事や生活に生かせるものがあると思うんですよね。