教えるということと、学ぶということ

引用の引用になってしまい、申し訳ないのですが、大事な文章だと思ったので紹介します。引用もとの記事では、ウェブ時代の学びの姿勢として宮大工の仕事の伝承・伝達を参考にされています。でも、私は、これはとくに大学での学びでも重要なことだと思いますし、また教える側の意識の持ち方に対しても重要な考え方だと思うのです。

日経ビジネスの2008年3月24日号の「有訓無訓」で鵤工舎舎主であり、宮大工の小川三夫さんという方が非常に面白いことを言っていた。

以前、トヨタ自動車工場で一番上級クラスという技能者の方たちが、何度か研修に来られました。若い人に技術を教えるのが難しいので、どうやって教えたらいいのか、宮大工にヒントを得てきなさいということですやろ。一度現場で話をした時、「何や禅問答をしてるみたいだ」と言うてました。意味が分からんとそりゃそうですよ、こっちは「教えるためには、教えてはいかん」なんて言うわけですからな。
これは本当ですよ。口で言えば30分で済むことでも、教えないと本人が気づくまで2〜3日かかることもあります。でも自ら気づき、学んだことでないと身につきません。教えてもらおうと思うのが間違い。言葉や頭で、分かった気になるのが一番ダメです。教えずに耐える方も大変ですわ。
2008年3月24日号「有訓無訓」 もの作り学べる環境を すべての基本は研ぐこと

宮大工に学ぶウェブ時代の学びの姿勢 - Thoughts and Notes from NC

簡単にいえば、身に付かなければナンボにもならない、ということ。わかった「気」は「気」持ちになっただけのこと、ということ。教わる側にも覚悟も辛抱もいるけど、教える側にも同じように必要ということだと思うのです。仕事をやることだけが重要ではなくて、人を育てる、自分の仕事を伝えることが実はより大一番だということだと思うのです。
職人は手に職がついてなければ、ただの人です。本当にただの人です。大学を卒業した人も、大学時代に体験した様々なことが身についてなければ、その時代はだた過ぎて行っただけの時代です。いろいろと厳しい、この時代に大学に入った人には、何でもよいので、卒業する時には何か身につけていてほしいなぁ、と思います。
同時に、教える側の立場の自分としては、何を教えるかだけが重要ではないことを、意識していきたいと思います。