門前の小僧習わぬ経を読む

いつもの研究会が明日あるのですが、たまに「大学で即戦力教育を」という話に関連する議論がでてきます。そういうときに、いつも思うのは「昔はどうやったんやろう」。なんで大学で実学「ばっかり」教えなきゃならんのでしょうね。4年間もある時間がすごく無駄に思えてくる。

だらか、この記事には凄く同感します。「正統的周辺参加」という言葉は、恥ずかしながら最近知ったのですが、たしかに「門前の小僧習わぬ経を読む」って話ですね。

どんな職場でも徐々に空気に慣れて、そこで何が行われているかを体得していくのだ。特に知識集約型の産業ほどそうだ。そうやって先人たちから大切に育てられた人の中には時々無自覚に、自分が自分の力で這い上がったように錯覚して、後からやってきた若者に伸びる機会も与えず「大学が即戦力教育をしないのがいけない」というようなことがあってはまずい。

人口構成とか昔ほど人員計画に余裕がないとか会社としても諸々の事情がある訳だが、ひとが育つ環境をつくるには工夫がいるし、IT化に伴う省力化や業務の効率化で、学習環境を職場に埋め込む工夫が犠牲となっているケースも少なからずあるのではないか。OJTによる徒弟制が成り立ちにくいほど道具立てが急速に移り変わっているという見方も出来るが、学問の世界がそうであるように徒弟制は時代の変化に対して柔軟に適応できるようだ。

なぜ大学で即戦力は育たないか - 雑種路線でいこう

IT化に伴う省力化や効率化という視点は、目から鱗でした。なにせ「即戦力になるためにはIT活用能力もないと!」って話をよく聞くもんで。

なんか社会全体が、やらないといけない事というか責任のなすりつけ合いみたいになっているような気がします。つまり、ギスギスした感じ。社会全体として、いろんなものを受け入れていく懐の深さというのが、なくなってきているのかなぁ。