職場を見て考える

最近の職場の動きを見て、考えることが2つあります。簡単にいえば「外から見て何やってるかわからないことに、リソース使いすぎ」「そんなに急いでどうする?足場は大丈夫」の2点。
私がいる業界は、「大学」なわけですが、とりわけ地方大学は国公立も最近大変ですが私立だったらもっと大変。それに加えて、監督官庁文科省やら厚労省やら)が、いろんなことをさせてくれるので、それへの対応も大変。職場の中を見たら、学生への対応も大変だし、他の先生への対応も大変なわけです(汗)

そんな中、うちの職場を見ると「アウトプット少ねーなー」と思うこと多しなのです。会議や委員会が増えても、それは中の体制を作るためだったり、対お役所のためだったりで、会社でいえば営業だったり業績回復のための手立てがないような気がするんですよね。つまり「外から見て何やってるかわかんない」状態。そして、これは同時に、「『中』から見てもなにかってるかわかんない」状態でもあると思います。夜から会議を始めてみたり、訳分からない発言で会議が長引いたり、何のための集まったのか議題が明確でない会議だったり…そういうのに、人・時間・金とそれらの周りにあるもの(例えば家族や自分の時間)が犠牲になるのは、すごく「アホらしい」と思うのです。
これ、授業で言えば、「達成する目的やそのための手段が明確でない授業は、何やってるか学生もわからないし、やってる教員本人もわかってないのではないか」というのと同じ状態ではないでしょうか。先生はアレコレ説明してるけど、教科書に載ってなかったり、シラバスとぜーんぜん関係ないことばっかりやってる。評価もテストで決まると思いきや、あとになって「出席もいるよ」とか先生言ったり。混乱や混沌とした状態ばかり生まれていって、それらを整理するための情報や行動がないと、誰にとっても得るものがないような気がします。

もう一つは、「急ぎすぎて、足元が見えていない」ということ。例えば、昨今の大学事情を先にちょっと書きましたが、例えば「学生対応」を例にとってみましょう。最近の学生の学力問題はよく知られるところですが、それだけではありません。家庭の事情やら本人の意識の問題で、大学に居続けることが困難な学生が多くなってきています。また、それは就職にも繋がる問題になります。4年間きちんと教育させ(同時に勉強させ)、就職を望む学生が無事就職して卒業できるようにするというのは、大学の基本的な役目のひとつですが、最近はそれが困難になりつつあります。そのため「学生対応」ということで、個別相談やら学習や就職への動機付けのための講座やらを開いたりするわけです。でも、個別対応は別として、学習や就職への動機付けへの対応が「その場しのぎ」だったりするんですよね。そして、その対応をするための教員も、決してやる気がないわけではないのですが、全員が同じモチベーションで対応できているわけではないのです。
個人的には「足元が見えている」教員は、数年先を見据えた結果的にはより現実的な対応ができていると思います。例えば、ある資格にしがみついている学生がいるとしましょう。でも、現実には、その資格を取得できる可能性が決して高いわけでなかったり、その資格を持っているからといって就職口が十分にあるとは限りません。そういう場合、個人的には「より広い視野を学生に見せること」が教員の役割だと思っています。何が幸せかは本人が選択するものですが、不幸せにしないための十分な情報を与えることが教員にできることだと思うのです。一方「足元が見えていないかもしれない」教員は、その資格を取得させるために、学生にハッパをかけたり講座を開いたりして、対応すると思うのです。その活動自体は、評価すべきことだと思いますが、果たしてそれが「本当に学生のため」なのかは、私には疑問です。視野を狭め、それ以外の世界を見せないことは、個人的にはマズいことだと思うのです。

以上が、年末に向けて、この4月から環境が変わってきた中で、最近思っていることです。週末なので、ふっとこんなことを書いてみたくなってしまいました。