高等教育での情報教育の立ち位置

遅くなりましたが、日曜日はいつもの研究会のため、大阪へ。ちなみに行き帰りの電車の中では、爆睡してました(汗)疲れてたのかなぁ。とりあえず、トピックごとに感想などを。

  • 統計(とくに正規分布)に関する考察
    • 実は、半分話はわかった(というか聞いてて難しいとは感じなかった)のですが、半分は理解できていないお話でした。たしか、統計的な処理をするときに、データ群を正規分布と見なすことが多いけど、それでいいのか?というのが話のきっかけだったと思います。
    • 数学的な統計に対するアプローチと、ツールとしての統計に対するアプローチの違いで、今回のお話は、数学的なアプローチからのお話だと思うのです。私は半分(もっと少ないかも;汗)数学系なので、聞くこと自体は苦ではなかったんですが、正直「そこまでいわんでも」と思ったりもするんですよね。一応、元・応用数学系の立場としては。
    • もちろん、お話しの中にあったように、安易に正規分布と見なすことは良くないでしょうが、lionusさんの日記にも書かれているように、そのあたりに対する一定の配慮はされていると思います。
  • 情報教育が教育の下支えになるという主張
    • 研究会のご意見番のIK先生のお話。今ある教育や学力に関する諸問題に対して、情報教育の立場からアプローチすることで十分な教育ができるはずだという主張です。
    • つまり、情報教育を「知的教育」と位置づけることで、情報教育そのものが教育全体の「下支えの能力の育成」の役割を果たせるだろうということです。これは、高等教育に初等中等教育や家庭教育のしわ寄せが来ていることへの、ある意味追認であり、それを受け止め前向きに対処することで、情報教育(とくに高等教育)での意義が見出せるということではないかと、解釈しました。
    • IK先生にはいくつか質問させてもらったのですが、ひとつ釈然としないのは、「常識とは何を指すのか?」ということです。高等教育が下支えの教育、すなわち「常識」(一般常識だけではない)を教育することであるならば、ある程度常識に対する共通感が教える側に必要ではないかなぁと思うのです。IK先生は「常識は先生ごとに違ってよい」とおっしゃりましたが、現状を見るとある程度の枠を決めておかないと、危険かなぁと思うんですよね。常識や教育というのは、結構その人その人によって違うのでは、というのが私の意見なんです。
    • ですから、学習スキルの育成や学習意欲の向上など、最近流行の「初年次教育」の範疇の話ならいいんですが、「常識」を持ってくると現状でどう対応したらいいか、私にもわかりません。まぁ、そもそもIK先生のきっかけも、学生たちの現状を見てのある種の憂いなので、その点には同感できますし、主張の方向性にも同感できます。どこまでやるか、という問題なんでしょうね。
  • 簡易プログラミング言語を利用した飛行船の操作
    • 情報教育関係(というか情報処理学会のCE研究会関係かな)で話題の、ドリトルというLOGO(タートルグラフィックを利用したプログラミング言語)を起源とする学校教育用プログラミング言語を使った、小さな飛行船の制御のお話です。
    • ドリトルについては、公式サイトがあるので、詳しくはどうぞ。オンライン版もあって、ブラウザ上で簡単なプログラミングを体験できます。(要Java
    • ドリトルは、LOGOがベースですが、日本語でプログラミングが書けたり、オブジェクト指向に対応していたりと、非常に多機能です。最近、うちの研究会でもはやっているようです。
    • で、ドリトルを使って飛行船を制御するのですが、いくつかのセンターを使って制御します。実際のところ、そのあたりのハードウェア周りで結構苦労されたようです。たぶん、プログラミング自体は、そんなに苦労がなかったのではないでしょうか?E先生見てるのかなぁ(笑)
    • で、来週は別の先生による、「ドリトルで音楽」の発表だそうです。