中学校と高校での情報教育の先行きがちょっと不安

先日、将来の中学校と高校での「情報」の教育について、中教審の部会でのまとめの資料が公開になりました。概要は、下の引用先を見ていただくといいと思います。すごく大雑把にいうと、高校での普通教科「情報」が3科目から2科目になりました。

中教審の10月30日の教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ(案)(PDF150ページ)によると、普通教科情報も専門教科情報も進捗があったようだ。

新カリキュラムの「情報科」: 総合学科「情報」日誌

これに対して、情報科教員MTさんは、不安を感じておられるようです。このニュースに関する、他の方のブログの意見にはあまり同意できなかったんですが、情報科教員MTさんの意見にはほとんど同感です。

まず、この2科目から選択させるということですが、私は『社会と情報』という科目を必履修科目にして、その後、『情報の科学』が必要な生徒はそれを選択するという形の方がよかったのではないかと思います。
扱う内容の軽重はあるにしても日本全国全員が履修することになっている科目をひとつ共通のものを作っておくことは重要ではないかと思うからです。

情報科教員MTのBlog:学習指導要領改訂に関する検討素案

2つの科目の説明を読むと、『社会と情報』って情報化社会では多くの人が身につけておくことが望ましい能力を育成する科目だと思います。それに対して『情報の科学』は、いわゆる情報科学情報工学的な科目なんですよね。その2科目を選択にするのは、まったくナンセンスだと思います。だから…

私は、辰己先生の考えに近く情報の科学を履修科目として選択するのは10%〜15%程度ではないかと思う(但し、これは2科目目の選択科目としての『情報の科学』は考えていません。あくまでも情報科の科目の1科目目の採択率)。

情報科教員MTのBlog:学習指導要領改訂に関する検討素案

こういう推測には、まったく同感です。むしろ、これくらいの割合の方が、社会のニーズや方向性として、正しい状態だと、個人的には思うのです。前にも書きましたが、全部の人が情報科学を勉強する必要はないと思います。もちろん、情報科学の中には知っていると良いこともいっぱいありますから、いくつかの要素や概念は、小学校から高校までのどこかで何らかの形で教育することは良いことだと思います。
でも、「情報化社会」とは、きちんとした情報科学を勉強していなくても、その利便性などを享受できる社会だと、私は思っています。情報科学を学習させることで、むしろ情報科学へのアレルギーを持つ人を増やすことにはならないでしょうか。

現状では、多くの中学校で情報関係は35時間で行っている。
この時間の中で、(中学校におろしたと思われる)情報A関係を中学校で行うことは不可能だと思う。結局、省略形で行うことになるのだろう。

情報科関係のことはスパイラルな情報教育が重要なので、結局は繰り返し、繰り返しいろいろなことを勉強していくことになるのだろう。
中学校で全てできなくても、結局は高校でそれをカバーする必要があるのだろう。

情報科教員MTのBlog:中学校の『情報とコンピュータ』はどうなるのだろう?

今高校の「情報A」(情報リテラシ系の授業)が、中学校に降りてきそうだけど、それを十分にやる時間は足りないだろう、という指摘です。まったく同感。これでは、学校教育の側が情報化社会を十分に想像できていないのでは?と思ってしまいました。たぶん、操作とかは授業以外でも家庭などである程度理解できているはずだというのがあるのでしょう。また、操作を中心としたリテラシ系の授業は、それほど大変ではないという考えがあるのかもしれません。
でも、今、高校までの「情報」の教育を受けてきて、大学に入ってきた学生たちを見ると、とてもそんな簡単な話じゃないと思うのです。学校で教えるのなら、他の教科同様、やはり十分な時間をかける必要があると思います。大学側としては、「『情報』も他の教科と同じで、最後のしわ寄せは大学に来るの?」と思ってしまいます。

情報科教員MTさんも指摘しておられますが、スパイラルに、つまり小学校でも中学校でも高校でも大学でも、ある程度の繰り返しは、教育のためには必要だと思います。これは先日某所で数学教育についてある先生もお話されていました。時間的な制限があるのはわかるのですが、教育の「上手いスパイラル構造」を作っていかないと、身につけさせたいものも身につかないのではないでしょうか?