情報リテラシ教育の位置づけ
学生から見て、という話ですが。
フラスコさんの記事を見て、次のようなことをふと考えたんですよね。
「情報リテラシはどうとらえられているんだろう?」
「化学や物理と同じなんじゃないかなぁ。」
私は情報リテラシの授業を、将来の目的が明確な学生にも、そうでない学生にも教えています。まぁ、学生自身が明確かどうかというよりも、学生の所属学科の存在目的が明確(資格や免許が取れる)といったほうがいいかもしれません。
医療系は【自発的】に学習していて、教えるのが楽だと。で、文系の学生は【環境】がないと。
【自発的】学習は、【問題処理型】思考に偏りやすい。
【内発的】学習から、【問題解決型】の思考が育つ。
言われたことはできるけど、自分で問題を考えられないっていう例のアレですよね。
これは確かにあると私は思います。もっときちんといえば、環境というのは学習する上ですごく大事なことだと思っています。
で、結局のところ、講義は「その講義が面白い」という部分に落着かないといかんのじゃないかと。
文系だとか医療系だとか関係なしに、
「知るのが楽しい」
「わかるのが楽しい」というところが、目的地にならんといかんのだと。
これも正しいと思います。自分の専門には関係なくても、興味のもてた授業は記憶に残るものでしょう。私は…あったかなぁ(汗)
ただ、目的地を見つけられる学生ばかりではないでしょう。目的地を見つけやすい「環境」というのも、結構重要だと思っています。最近の学生は…正直どうかなぁ、という学生も多いです。「最近の学生は」なんて言葉を使うのは、年寄りになった証拠かもしれませんが(苦笑)講義の質だけでなく、環境作りも、学校側のお仕事なんだろうなぁ、と日々の体験から痛感しています。
情報リテラシの授業は「面白い」「興味もてた」と学生に評価してもらやすい半面、パソコンが苦手な学生にとってはいつまでもつらいものだそうです。また、実技が好まれ、座学は敬遠されるため、中途半端な知識しか身に着けず、使えるつもりになって単位を出してしまうこともあります。
情報リテラシの授業は自分のためになるものだ、と学生に思ってもらえるよう、環境作りと授業作りが大切だなぁと考える次第です。